July 1672002

 女涼し窓に腰かけ落ちもせず

                           高浜虚子

語は「涼し」で夏。なんとなく可笑しい句だ。笑えてくる。「女」が「腰かけ」ているのは、二階あたりの「窓」だろう。女性が窓に腰かけるとすれば、解放感にひたれる旅館か別荘である。少なくとも、自宅ではない。涼を取るために開け放った窓の枠にひょいと腰かけて、たぶん室内にいる人と談笑しているのだろう。柱に掴まるでもなく、両手を大きく広げたり、のけ反り気味に笑ったりしている。作者には下から見えているわけだが、いささかはらはらさせられると同時に、女性の屈託の無い軽やかさが「涼し」と感じられた。この「涼し」は「涼しい顔」などと言うときの「涼し」にも通じていると思われる。「落ちもせず」が、そのことを感じさせる。それにしても「落ちもせず」というぶっきらぼうな押さえ方は愉快だ。でも、逆に虚子は少々不愉快だったから、ぶっきらぼうに詠んだのかもしれない。お転婆女性は好きじゃなかったと想像すると、「涼し」の濃度は「涼しい顔」への「涼し」にぐんと近づく理屈だ。だとすれば、「落ちもせず」は「ふん」と鼻白んだ気分から出たことになるが、いずれにしても可笑しい句であることに変わりはない。別にたいしたことを言っているわけじゃないのに、こういう句のほうが記憶に残る。さすれば、これはやっぱり、たいしたことなのではあるまいか。遺句集『七百五十句』(1964)所収。(清水哲男)




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