June 2562002

 我老いて柿の葉鮓の物語

                           阿波野青畝

語は「鮓(すし)」で夏。若い人たちのいる席で、いっしょに「柿の葉鮓」を食べているのだろう。もはやこの鮓の由緒を知らない人たちに、発祥の由来などを話して聞かせている。そして、こういう「物語」を知っている自分が、ずいぶんと「老いて」いることに、あらためて気がついたのだった。私なども、話ながらときおり実感することがある。自分では何の気なしに話していることだが、周囲の反応で、それと気づかされる。そこでショックを受けるというよりも、みずからの老いを淡々と認める気分だ。さて、柿の葉鮓は奈良吉野地方の名物だ。なぜ海から遠いこの地方で、海の魚を使う(古くは鯖のみを使用したらしい)鮓が名物になったのだろうか。いくつかある柿の葉鮓販売の会社のHPを参照して、それこそ少し物語っておけば、次のようである。その昔(江戸時代中期)、吉野に運ばれてくる海の魚は熊野灘から伯母峰を越えて行商人の背負い籠で運ばれてくるか、紀の川沿いに運ばれてくるかのどちらかだった。もちろん今と違って人力で運ぶのだから、二日ほどの行程がかかったという。そのために浜塩と言って、魚が傷まないように多量の塩を腹に詰めて運んだ。山里の吉野に魚が届くころには、塩気がまわりすぎ、煮ても焼いてもショッパくて食べられないほどで、その身を薄くそいで白御飯にのせて食べることを思いついたのがはじまりとされる。柿の葉のほうはそこらへんに沢山あったので、試しに巻いてみたら、よい香りがして美味かったからというところか。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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