June 2262002

 向日葵の月に遊ぶや漁師達

                           前田普羅

語は「向日葵」で夏。若き日に、大正初期の九十九里浜で詠んだ句。ここは昔からイワシ漁の盛んな土地で、明治以後、二隻の船が沖合いでイワシ網を巻く揚繰(あぐり)網が取り入れられたが、砂浜に漁船を出し入れするのに多大の人力を要した。集落をあげて船を押し出す仕事を「おっぺし」と言い、1950年代までつづいたという。老若男女、みんなが働いていた時代だった。そんな労働から解放されて、集落全体にやすらぎの時が戻ってきた月夜に、なお元気な「漁師達」が浜で遊んでいる。酒でも酌み交わしているのか。「向日葵の月」とは、月光に照らされた向日葵が、また小さな月そのものでもあるかのように見えているということだろう。この措辞によって、現実の世界が幻想的なそれに切り替わっている。加藤まさおが書いた童謡「月の砂漠」の発想を得たのも九十九里浜だったそうだが、見渡すかぎりの砂浜と海にかかる月は、さぞや見事であるにちがいない。月と向日葵と漁師達。その光と影が力強い抒情を生んで、詠む者の胸に焼き付けられる。少年期の普羅はしばしば九十九里浜に遊んでおり、愛着の深い土地であった。臨終の床で「月出でゝかくかく照らす月見草」と詠み、死んだ。『定本普羅句集』(1972)所収。(清水哲男)




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