June 2162002

 自転車の少女把手より胡瓜立て

                           川崎展宏

語は「胡瓜(きゅうり)」で夏。「杭州五句」のうち、つまり中国旅行でのスケッチ句だ。自転車を走らせている少女が、片手に「把手(はしゅ)」(ハンドルの握り手)といっしょに胡瓜を一本「立て」て握っていた。噛りながら、走っているのだろう。ただそれだけのことながら、さっそうとして元気な異国の女の子の姿が浮かんでくる。句に、清々しい風が吹いている。そのまんま句の典型だけれど、よく撮れているスナップ写真と同じで、対象にピントがちゃんと合っているのだ。そのまんま句の難しさは、このピント合わせにある。ただ闇雲にそのまんまを詠んでも、ごたごたするばかり。失礼ながら、多くの旅行(とくに海外旅行)句のつまらなさは、季節感や生活感の違いなどということよりも、このごたごたに原因がある。あれもこれもと目移りがして、ピントがぼけてしまうのだ。詰め込みすぎるのである。人情としてはわかるけれど、句としてはわからなくなる。掲句のように、一見、なあんだと思われるくらいに焦点を絞り込むことが肝要だろう。偉そうに書いているが、たまに旅先で詠んだ拙作を読み返してみると、やはりほとんどが哀れにもごたついている。すなわち本日は、まっさきに自戒をこめての物言いなのでした。『観音』(1982)所収。(清水哲男)




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