June 1362002

 空港の別れその後のソーダ水

                           泉田秋硯

語は「ソーダ水」で夏。句を読んですぐに思い出したのが、いろいろな歳時記に載っている成瀬櫻桃子の「空港のかかる別れのソーダ水」だ。空港の喫茶室でくつろぐ人はいないから、メニューにもあまり上等な飲み物は並んでいない。客にしても飲み物を味わうというよりは、場所取りのために何かを注文するのであって、このときに安価で長持ちのする「ソーダ水」などが手頃ということだろう。さて掲句だが、空港に見送りに行くくらいだから、その人とは別れがたい思いで別れたのだ。今度は、いつ会えるのか。もしかすると、二度と会えないかもしれない。すぐには空港を去りがたく、ちょっと放心したような思いで喫茶室に入り、ソーダ水を前にしている。むろん、ソーダ水を飲みたくて頼んだわけではない。櫻桃子句が別れの切なさを正面から押し出しているのに対して、泉硯句は切なさの後味をさりげなく表現してみせた。もしかするとパロディ句かもしれないが、現場のドラマを描かずになおよくドラマの芯を伝えているという意味で、とても洒落た方法のように思える。カッコウがよろしい。他のいろいろなドラマを詠むのにも応用できそうな方法だが、しかし、これは作者だけの、しかも一回限りの方法だ。頻発されれば、鼻白むばかり。一見地味な句に見えるけれど、この方法に思いがいたったときの作者の心の内は、それこそソーダ水のごとくに華やいだことだろう。『月に逢ふ』(2001)所収。(清水哲男)




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