June 0762002

 田一枚植て立去る柳かな

                           松尾芭蕉

遊行柳
語は「田植」で夏。近着の詩誌「midnight press」(No.16 2002年夏)の「ポエトリイ・コミック」(長谷邦夫)が、この句を取り上げていた。テーマは、句の主格は誰なのか……。昔からこの論議はかまびすしく、主格早乙女説、芭蕉説、はたまた柳説とにぎやかだ。なかには山本健吉のように、植えたのは早乙女で、立去ったのは芭蕉だと、主格を二つに分けた説もある。長谷さんは、平井照敏がこの柳の精が翁の姿で現れる能『遊行柳』を根拠とした柳(の精)説を支持している。いずれにも読めるが、私も柳説だ。ただし、根拠は少し違う。そもそも芭蕉がこの柳を目指したのは、私淑していた西行にこの柳を詠んだ歌があったからだ(『奥の細道』参照)。憧れの柳だったのである。その柳をいま眼前にして、感激の余韻のうちにすっと句が成った。このときに、私の着眼点は「田一枚植(うえ)て」にある。あまり鮮明ではないが、写真(栃木県那須町HPより・中央が遊行柳)に見られるように、芭蕉の昔から周辺には田が何枚もあった。通常の田植で一枚だけ植えて立ち去る手順などはありえないから、芭蕉が現実に見たとすれば、最後の一枚という理屈だ。が、最後の一枚を言うときに「田一枚」とはいかにも不自然である。したがって、現実の田植ではない。私は、芭蕉の前にはまだ一枚も植えられていない田圃が広がっていたのだと思う。しかし、やっと西行ゆかりの柳の陰に立つことのできた芭蕉の興奮が、しばし白日夢のように展開し、柳(の精)が彼を歓迎するかのように「田一枚」を植えてみせる情景が浮かんだのだ。この幻想は、先の能から来たものとも考えられる。しばらくして放心状態から醒めてみれば、柳はただの柳であり、涼しげに風に吹かれているばかり。それにしても、私の知るかぎり「田一枚」にこだわった解釈にはお目にかかったことがない。不思議なこともあればあるもの。(清水哲男)




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