June 0362002

 短夜や拗ねし女に投げし匙

                           中村哮夫

語は「短夜」で夏。作者はミュージカルの演出家だから、稽古の情景だろう。厳しい注文を付けているうちに、女優が臍を曲げてしまった。女性が「拗(す)ね」ると、たいていは黙りこくってしまい、手に負えなくなる。なだめすかしてみても、だんまりを決め込んで、テコでも動かない。幕を開ける日まであとわずかしかないというのにと、作者は苛々している。ましてや、夜も短い。いたずらに無駄な時間が過ぎてゆくばかり。そこで、ついに「投げし匙(さじ)」となった。どうとも勝手にしろ。怒りが爆発した。その場に「匙」があったら、本当にぶつけかねないほどの苛立ちだ。といっても、むろん即吟であるはずはなく、そういうこともありきと懐かしく回想しているので、中身に救いがある。それにしても、この匙は奇妙なほどに生々しい。たぶん、それは私が男だからだろう。思い当たる匙の一本だからである。稽古中に物を投げるといえば、若き日の(今でも、かな)蜷川幸雄の灰皿投げが有名だ。本当に投げたのかと、ご当人に聞いてみたことがある。「野球で鍛えたからね、コントロールには自信があった」。つまり、投げたのは事実だが、ちゃんと正確に的を外して投げたということ。口直しに(笑)、同じ作者の上機嫌な句を。「夏空やいでたち白き松たか子」。『中村嵐楓子句集』(2001)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます