May 2852002

 来て立ちて汗しづまりぬ画の女

                           深見けん二

語は「汗」で夏。「画の女」を、最初は、自分がモデルになった画の出展されている展覧会を見に来た女性かなと思ったのだが、そうすると「来て立ちて」の「立ちて」が不自然だ。あらためて、当たり前の立ち姿を紹介する必要はないからである。そうではなくて、美術教室のモデルとして来た女性だろう。定刻ギリギリにやって来て、一息つく時間もなく、ハンカチで汗を押さえるようにしながら、そのまま描き手の前に立った。そして、早速ポーズを決めるや、すうっと汗が「しずま」ったというのである。役者などでもそうだが、本番で汗をかくような者は失格だ。このモデルも、さすがにプロならではの自覚と緊張感とをそなえていたわけで、作者は大いに感心している。モデルがぴしっとすれば、教室全体に心地よい緊張感がみなぎってくる……。モデルを前にして画を描いたことはないけれど、モデルはたとえば音楽のコンダクター的な役割を担う存在なのではあるまいか。少しでも気を抜けば、たちまち描き手に伝染してしまうのだろう。しかるがゆえに、モデルの価値は容貌容姿などにはさして依存していない。価値は、描きやすい雰囲気をリードできるかどうかにかかっているのだと思う。画を描かれるみなさま、いかがでしょうか。『星辰』(1982)所収。(清水哲男)




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