May 2652002

 少女らは小鳥のごとし更衣

                           大井戸辿

語は「更衣(ころもがえ)」で夏。この風習もかなりすたれてきたが、学校や企業等によっては、日を定めていっせいに制服を夏のものに着替える。学校の制服姿は人数も多いので目立つから、否応なく新しい季節の到来を感じさせられることになる。さて、掲句には類句累々。さしたる発見はなけれども、しかし、なんだかほほ笑ましい。そしてちょっぴり哀しいのは、あえて「少女らは小鳥のごとし」と凡庸な比喩を使った作者と「少女ら」との距離と時間の遠さによる。作者が少年であれば、決してこのように詠むことはないだろう。男として年輪を重ねてきた人でなければ、こんなバカな(失礼)比喩は使えない。若い読者には奇異に受け止められるかもしれないが、この句をじいっと見つめていると、浮かび上がってくるのは作者の老境である。句を裏返せば「小鳥らは少女のごとし」であっても、いっこうに差し支えはないのだ。それほどに他人事というか、もはや少女との交流など考えも及ばない年齢の諦観みたいな心境がじわりと露出してくる。小鳥が本質的には無縁なように少女とも無縁で、もはや両者を等価にしか捉えられない哀しさよ。作者の本意はどうであれ、この平々凡々とした比喩が告げているのは、そういうことなのだと思われた。いま反射的に思い出したのは、その昔に仕事の相棒だった女性の、私には衝撃的だった少女観。「小学校高学年から中学くらいの女の子が、いちばん汚らしく見えるのよね」。となれば、掲句に賛同できる女性は少ないかもしれない。少なくとも一般的に可愛らしいとしてよい「小鳥」の比喩には、我慢がならないかもしれない。「俳句」(2002年6月号)所載。(清水哲男)




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