May 2552002

 簾巻きて柱細りて立ちにけり

                           星野立子

語は「簾(すだれ)」で夏。夕刻になって、涼しい風を入れるために簾を巻き上げた。と、普段は気にも止めていなかったのだが、意外なほどに我が家の柱の細いことに気づかされたのである。簾の平面と柱の直線の切り替わりによって、以前より細くなったように見えた。もっと言えば、まるで「柱」みずからが、昼の間に我と我が身を細らせたかのようにすら見えてくる。こんなに細かったのか。あらためて、つくづくと柱を見つめてしまう……。「柱の細く」ではなく「柱細りて」の動的な表現が、作者の錯覚のありようを見事に捉えており、「巻きて」「細りて」と「て」をたたみかけた手法も効果的だ。日常些事に取材して、これだけのことが書ける作者の才能には、それこそあらためて脱帽させられた。俳句っていいなあと感じるのは、こういう句を読んだときだ。簾といえば、篠原梵に「夕簾捲くはたのしきことの一つ」があるが、私も少年時代には楽しみだった。巻き上げても両端がちゃんと揃わないと気がすまず、ていねいに慎重にきっちりと巻いていく。少しでも不揃いだと、もう一度やり直す。格別に整理整頓が好きだったわけではなく、単なる凝り性がたまたま簾巻きにあらわれたのだろう。いまでも乱暴に巻き上げられた簾を見かけると、直したくなる。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)




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