May 2452002

 子探しの声の遠ゆくかたつむり

                           上田五千石

語は「かたつむり(蝸牛)」で夏。夕暮れ近く、遊びに出かけたまま、なかなか戻ってこない子供を母親が探している。どこのお宅に入りこんで遊んでいるのか。心当たりの方向に「○○ちゃーん、ゴハンですよー」と声をかけて歩いている。その声も、だんだん遠ざかっていく。「遠ゆく」という言葉は初見だが、意味はこれでよいだろう。作者の造語だろうか。あるいは、どこかの方言かもしれない。開け放った作者の窓辺には、我関せず焉といった風情で「かたつむり」がじっと眠っている。母親の「子探し」といってもこの時間には毎度のことだから、何も心配するほどのことでもない。そんな「世はすべて事もなし」の好日感を、さらっとスケッチした句だ。強いて理屈をこねれば、かたつむりはいつも家を背負って歩いているので、子探しをすることもないから、人間よりもよほど気楽。比べて、人間の暮らしはあれこれと厄介なことが多い。ここらあたりのことを対比していると読めないこともないけれど、私はさらっと読んでおく。そのほうが、夏の夕暮れの情景を気持ちよく受け止められる。最近では、こうした情景も見られなくなってしまった。表から大声で呼んでも聞こえない構造の家が増えてきたし、電話も普及している。それに第一、当の子供が遊んで歩かなくなってしまったからだ。掲句は、いまから三十年ほど前に詠まれたもの。『森林』(1978)所収。(清水哲男)




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