May 1952002

 昼が夜となりし日傘を持ちつづけ

                           波多野爽波

生として京都に移り住んだとき、関西の男がよく日傘をさしているのを見て、軽いカルチャー・ショックを受けたことを思い出した。さすがに若者はさしていなかったが、老人には多かった。夜の日傘。これぞ、絵に描いたような無用の長物だ。捨ててしまうわけにもいかず、何の役にも立たない長物を持ち歩く鬱陶しさ。句の様子からして、昼間もあまり使わなかったのかもしれない。不機嫌というほどでもないが、なんだか自分が馬鹿みたいに思われてくる。周囲の人たちは傘を持たずに歩いているので、余計にそう感じられる。たった一本の傘でも、さざ波のように苛立つ心。とくに傘嫌いの私には、よくわかる句だ。しかも、第三者たる読者には、なんとなく滑稽にさえ読める。以下、参考までに日傘の成り立ちを『スーパー・ニッポニカ2002』(小学館)より引き写しておこう。「元来は子供のさすものであった。江戸時代初期、男女ともに布帛(ふはく)で顔を包み隠すことが行われ、これを覆面といって、外出には欠くことのできないものであった。ところが17世紀中ごろ、浪人たちによる幕府転覆計画が発覚し、幕府は覆面の禁令を発布した。このため男女ともに素顔(すがお)で歩かざるをえなくなり、笠のかわりに、大人も日傘を用いるようになった。女性のさし物として日傘が定着したのは、宝暦(ほうれき)年間(1751〜64)からである」。イスラム教徒の女性が顔を隠す風習を奇異と見るのは、どうやら筋違いのようですね。『舗道の花』(1956)所収。(清水哲男)




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