May 1352002

 陽はありき十九の夏の小石川

                           佐藤鬼房

譜を見ると、作者は十九歳のとき(1938年・昭和十三年)に東京・小石川植物園の裏手に移り住み、日本電気本社の臨時工として働いた。いまでも当時の名残なのだろうか、小石川から飯田橋にかけての一帯には小さな町工場があちこちにある。青春追懐句。六十代の句と思われる。一見、リリカルな美しさを帯びた句と読めるが、なかなかに苦い味わい。四季を通じて、もっとも「陽」があって当たり前なのは「夏」なのだから、その季節に寄せてあえて「陽はありき」と詠んだところに、作者の苦しかった若き日がしのばれる。おそらくは物理的にも「陽」のあたらない下宿暮らしであり工場勤務だったのだろうし、精神的にも前途への「陽」はさして見えていなかったということだろう。しかしいま省みて思うに、物心両面での苦しさはあったけれど、そこには「十九」という若さゆえの「陽」が確かにあったのだと、しみじみと思い出している。屈折してはいるが、おのれの若き日、若き生命への賛歌だと受け取っておきたい。この句を読んで、自然に自分の十九歳のころに意識が動き、真っ暗な大学受験浪人生だったことを思い出し、しかし私にもそれなりの「陽」はあったのだと追懐した次第。ヘルマン・ヘッセじゃないけれど、はるか彼方に過ぎ去ってみて初めて「青春は美し(うるわし)」なのでした。『何處へ』(1984)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます