April 3042002

 落球と藤の長さを思いけり

                           あざ蓉子

語は「藤」で春。作者は、意表を突く取り合わせを得意とする。したがって、あまり句の意味や理屈を考えないほうがよい。作者のなかで感覚的にパッとひらめいたイメージを、楽しめるかどうか。そこが、読者のポイントとなる。はじめ私は「落球」を、フライを捕りそこなってポロリとやるプレーのことかと読んで、どうにもイメージが結ばなかった。野球好きの人ならたいていそう読んでしまうと思うけれど、そうではなくて、単に落下してくる球のことと素直に読めばよいのだと気がついた。上空に打ち上げられた球が、すうっと落下してくる。その軌跡を、まるで長く垂れ下がった「藤」蔓のようだと「思いけり」ということだろう。一個の落球は一つの軌跡しか描かないが、野球場ではたくさんの飛球が上がるから、それらが落下してくる残像をいちどきに思い出すと、さながら天の藤棚からたくさんの蔓が流れ落ちているようにイメージされる。それも一試合の残像ではなく、何十何百のゲームのそれを想起すれば、まことに豪華絢爛な像を思い浮かべることもできる。作者がそこまでは言っていないとしても、私のなかではそんなふうに幻の藤蔓がどんどん増殖していって、大いに楽しめた。俳誌「花組」[第57回現代俳句協会賞受賞作品50句](2002年春号)所載。(清水哲男)




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