April 2442002

 総金歯の美少女のごとき春夕焼

                           高山れおな

語は「春夕焼」。単に夕焼といえば、盛んに見られる夏の季語だ。夕焼は四季を問わずに出現するが、春の夕焼は柔らかな感じがするので、他の季節のそれとは区別してきた。で、この一般的なイメージに逆らっているのが、掲句。「よく見てご覧。そんなにうっとりと見つめられるような現象でもないよ」と、言っている。例えれば色白の「美少女」の柔らかい頬が少しゆるんで、にいっと「総金歯」が剥き出しになっているようじゃないか。そんな不気味なまがまがしさを含んだものとして、作者には見えている。なんともおっかない感受性だが、この句を知ってしまった以上、次に春夕焼を見るときにはどうしても総金歯にとらわれることになる。どのあたりが金歯なんだろうかと、じいっと見つめることになる。でも、この句を好きになれる人は少ないでしょうね。私も同様です。が、春の夕焼を固定観念でなんとなく見ている私などには、反省を強いられる句であることも確かだ。自分の感受性くらい自分で磨けと言った詩人がいたけれど、俳句を考えるときには季語の固定観念に引きずられて、どうも自分の感受性をないがしろにしてしまうところがある。読者に受け入れられようがどうしようが、固定観念では押さえきれない異物感があるのなら、金歯でもなんでも持ちだしてみることは、自分にとって大切なことなのだ。殊勝にも、そんなことを思わされた一句なのでした。蛇足。実際に、総金歯の人に会ったことがある。口の中に財産を貯め込む発想に、うっとりしていた変なおじさんだったけど。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




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