April 1842002

 吹き降りのすかんぽの赤備前なる

                           宮岡計次

火だすき
語は「すかんぽ」で春。酸葉(すいば)とも。私の故郷山口県では、酸葉と呼んでいた。茎や葉に酸味があり、口さみしくなると摘んで吸ったものだ。全国どこにでも自生していたはずが、最近ではさっぱり見かけない土地もある。私の住む三鷹近辺でも見たことがない。句では、すかんぽが強い風雨にさらされている。眺めていると、その「赤」色がいよいよ鮮やかに写り、やはり「備前(びぜん)」ならではの「赤」よと感に入っている。備前は、現在の岡山県の南東部の古名。なぜ備前ならではなのかと言えば、作者には備前名物の焼物が意識されているからだ。備前焼。釉薬(ゆうやく)をかけずに素地(きじ)の渋い味わいを生かすのが特色で、肌は火や窯の状態で変化し、なかでも火だすき(写真参照)に一特色がある。すなわち、作者の眼前で激しく揺れているすかんぽの色と形状は、さながら備前焼の火だすきのようであり、さすがは備前よというわけだ。また、この「備前なる」の「なる」はすかんぽにかけられていると同時に、作者にも「備前なる(私)」とかかっている。作者が備前の人なのか旅行者なのかはわからないが、いずれにしても、今このようにして備前にあることの誇らしさを詠んだものだ。藤村の「小諸なる古城……」と同様の「なる」で、単にそこにあるのではなく、そこならではのと、作者のプライドを含ませた「なる」である。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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