April 1342002

 先人は必死に春を惜しみけり

                           相生垣瓜人

多喜代子が「俳句研究」(2001年5月号)で紹介していた句。思わず吹きだしてしまった。皮肉たっぷりな句だが、しかし不思議に毒は感じられない。惜春の情などというものは自然にわき出てくるのが本来なのに、詩歌の先人たちの作品を見ていると、みな「必死に」なって行く春を惜しんでいる。どこに、そんな必要があるのか。妙なこってすなア。とまあ、そんな句意だろう。この句を読んでから、あらためて諸家の惜春の句を眺めてみると面白い。事例はいくらでもあげられるが、たとえば先人中の先人である芭蕉の句だ。『奥の細道』には載っていないけれど、同行の曽良が書き留めた句に「鐘つかぬ里は何をか春の暮」がある。旅の二日目に、室の八島(現・栃木市惣社)で詠んだ句だ。「何をか」は「何をか言はんや」などのそれで、入相の鐘(晩鐘)もつかないこの里では、何をたよりに春を惜しめばよいのかと口をとんがらかしている。だったら別に惜しまなくてもいいじゃんというのが、瓜人の立場。天下の芭蕉も、掲句の前では形無しである。はっはつは。なお「春の暮」は、いまでは春の夕暮れの意に使われるが、古くは暮春の意味だった。その点で、芭蕉の用法は曖昧模糊としている。たぶん、暮春と春夕の両者にかけられているのだろう。詠んだのが、旧暦三月二十九日であったから。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます