G黷ェt句

April 1242002

 葉ざくらの口さみしさを酒の粕

                           安東次男

語は「葉ざくら(葉桜)」。通常では夏に分類されるが、今年は花が早かったので、いまごろの句としても違和感はない。艶を帯びた葉が美しい。句は「葉ざくらの」で切れている。この「の」がポイントで、強いて単純に言えば「の」の後に「季節」だとか「頃の気分」だとかという言葉が省略されているわけだ。が、それだけにとどまらず、同時に句全体にもかかっていると読める。「葉ざくらや」と、一度完全に切り離しても句にはなるけれど、「の」とぼかしたほうが情趣が伸びる。葉桜とは何の関係もない「口さみしさ」の淡い食欲と「酒の粕(かす)」のほのかな酒精にも、それとなくマッチしてくる。それにしても、口さみしさを癒すのに酒粕とは粋だなあ。ちょっと火に焙ってから、ちょっと千切って口にしている。私だったらせいぜいが飴玉どまりだから、とても句にはなりそうもない。たとえ家に酒粕があったとしても、こういうときに食べようとは思いも及ばないだろう。句が作者の実際を詠んだかどうかは二の次なのであって、この取りあわせと先の「の」とが微妙に照応しあい、いまだ春愁を引きずっているような初夏の気分が鮮やかに出た。ご存知の読者も多いと思うが、作者はつい先ごろ(4月9日)他界された。享年八十二。合掌。『流』(1996・ふらんす堂文庫)所収。(清水哲男)


April 1642003

 葉桜の下何食はぬ顔をして

                           大倉郁子

はあん、何かやらかしましたね、何日か前の花見の席で……。調子に乗って飲み過ぎて、小間物屋を開いちゃった(←これ、わからない人はわからないほうがいいです)のかもしれない。実際はなんだかわからないけれど、とにかく失態を演じてしまったのだろう。それが、花が散って葉桜になり、風景も一変してしまったので、そこを通りかかっても「何食はぬ顔」をしていられる。「ああ、よかった」。もしも、桜の花期がずいぶんと長かったら、こうはいかない。そこを通るたびに、やらかしたことを思い出しては、自己嫌悪に陥るのは必定だ。酒を飲みはじめたころに、私も一大失態をやらかしたことがある。運の悪いことには、桜の下ではなくて、友人宅の部屋の中でだった。桜はすぐに散るけれど、友人の家はいつまでも同じ形で残っているので厄介だ。前を通るたんびに、表面的には何食はぬ顔をしているつもりでも、そのことを思い出さされて自己嫌悪に陥るので、三度に一度は回り道をしたほどだった。だから、句の作者の気持ちはよくわかるつもりだ。背景や光景や環境が変わりさえすれば、以前の失敗が絵空事のように思える。そういうことは、人生には多い。一見軽い句だけれど、この軽さに、読者それぞれの苦い風袋(ふうたい)がプラスされると、そんなに軽い感じを持たずに受け止める人も結構いるのではなかろうか。『対岸の花』(2002)所収。(清水哲男)


March 0732007

 色町や真昼しづかに猫の恋

                           永井荷風

風と色町は切り離すことができない。色町へ足繁くかよった者がとらえた真昼の深い静けさ。夜の脂粉ただよう活況にはまだ間があり、嵐(?)の前の静けさのごとく寝ぼけている町を徘徊していて、ふと、猫のさかる声が聞こえてきたのだろう。さかる猫の声の激しさはただごとではない。雄同士が争う声もこれまたすさまじい。色町の真昼時の恋する猫たちの時ならぬ争闘は、同じ町で今夜も人間たちが、ひそかにくりひろげる〈恋〉の熱い闘いの図を予兆するものでもある。正岡子規に「おそろしや石垣崩す猫の恋」という凄い句があるが、「そんなオーバーな!」と言い切ることはできない。永田耕衣には「恋猫の恋する猫で押し通す」という名句がある。祖父も曽祖父も俳人だった荷風は、二十歳のとき、俳句回覧紙「翠風集」に初めて俳句を発表した。そして生涯に七百句ほどを遺したと言われる。唯一の句集『荷風句集』(1948)がある。「当世風の新派俳句よりは俳諧古句の風流を慕い、江戸情趣の名残を終生追いもとめた荷風の句はたしかに古風、遊俳にひとしい自分流だった」(加藤郁乎『市井風流』)という評言は納得がいく。「行春やゆるむ鼻緒の日和下駄」「葉ざくらや人に知られぬ昼あそび」――荷風らしい、としか言いようのない春の秀句である。『文人俳句歳時記』(1969)所載。(八木忠栄)


April 2842010

 葉桜が生きよ生きよと声かくる

                           相生葉留実

海道でさえ桜は終わって、今は葉桜の頃だろうか。桜の花は、開花→○分咲き→○分咲き→満開→花吹雪→葉桜と移る、その間誰もが落着きを失ってしまう。高橋睦郎が言うように「日本人は桜病」なのかもしれない。花が散ったあと日増しに緑の若葉が広がっていくのも、いかにも初夏のすがすがしい光景である。咲き誇る花の時季とはちがった、新鮮さにとって替わる。さらに秋になれば紅葉を楽しませてくれる。「花は桜」と言われるけれど、葉桜も無視できない。花が散ったあとに、いよいよ息づいたかのように繁りはじめる葉桜は、花だけで終わりではなく、まさにこれから生きるのである。「生きよ生きよ」という声は桜自身に対しての声であると同時に、葉桜を眺めている人に対する声援でもあるだろう。葉留実には、そういう気持ちがあったのではなかろうか。彼女は二〇〇九年一月に癌で亡くなったが、掲句はその二年前に詠まれた。亡くなるちょっと前に「長旅の川いま海へ大晦日」の句を、病床でご主人に代筆してもらっている。本人が「長旅」をすでに覚悟していた、そのことがつらい。他に「春の水まがりやすくてつやめける」の句もある。もともとは詩人として出発した。処女詩集『日常語の稽古』(1971)に、当時大いに注目させられた。いつの間にか結社誌「槙」→「翡翠」に拠って、俳句をさかんに作り出していた。『海へ帰る』(2010)所収。(八木忠栄)


May 0852010

 葉桜や橋の上なる停留所

                           皆吉爽雨

留所があるほどなので、長くて広い橋だろう。葉桜の濃い緑と共に、花の盛りの頃の風景も浮かんでくる。最近は、バス停、と省略されて詠まれることも多い、バス停留所。こうして、停留所、とあらためて言葉にすると、ぼんやりとバスを待ちながら、まっすぐに続いている桜並木を飽かずに眺めているような、ゆったりした気分になる。大正十年の作と知れば、なおさら時間はゆっくり過ぎているように思え、十九歳で作句を始めた爽雨、その時二十歳と知れば、目に映るものを次々に俳句にする青年の、薫風を全身に受けて立つ姿が思われる。翌十一年には〈枇杷を食ふ腕あらはに病婦かな〉〈ころびたる児に遠ころげ夏蜜柑〉など、すでにその着眼点に個性が感じられる句が並んでいて興味深い。『雪解』(1938)所収。(今井肖子)


May 1452016

 葉桜や好きなもの買ひ夕餉とす

                           小川軽舟

成二十六年の一月一日から十二月三十一日まで、一日一句の俳句日記を一冊にまとめた『掌をかざす』(2015)より五月十四日の一句。新緑の風の中、ベランダにテーブルを出して乾杯、という気になるのも今頃だ。そういえば今週始め連休明けの月曜日、そろって仕事が休みで外食でもとぶらりと出かけたのだが結局ベランダでビールとなった。外食に比べれば高いお刺身でも安上がり、などと言いつつスーパーに行きそれぞれ好きなものを選ぼうということになり、揚げ物を家人が手に取っても止めておけばとは言わず、普段買わないようなお惣菜をあれこれ買って帰りテーブルに並べた。買ったものばかりをパックのまま、という後ろめたさはなく美味しいビールが飲めたのも、葉桜がまだ軽やかに光っているこの季節だからこそだろう。前出の俳句日記のあとがきに「俳句はささやかな日常を詩にすることができる文芸である」とある。日々のつぶやきで終わらない四季折々の詩が並んでいる。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます