April 0942002

 煎餅割つて霞の端に友とをり

                           藤田湘子

語は「霞(かすみ)」で春。気象用語ではないが、水蒸気の多い春に特有の、たなびく薄い雲を総称して霞と言う。当今のスモッグも、また霞だ。句の霞は実景だとしても、「友とをり」はフィクションだと思った。「煎餅(せんべい)」を食べながら遠くの霞を眺めるともなく眺めているうちに、ふっと遠い日のことを思い出した。そう言えばあいつとは、このような麗らかな春の日によく野山に遊んで、煎餅一枚をも分け合った仲の竹馬の友であったと……。その後、別れ別れになってしまったが、いまごろはどうしているだろう。元気でやってるかなあ。貧しかったが、楽しかった子供時代の追想だ。しかし、ひょっとすると、これはその友人の追悼句かもしれない。「霞の端」という措辞が、そういう可能性を読者に思わせる。霞の端は、もとよりぼんやりしている。しかも、空中に浮いている。そこに子供が二人ちょこんと腰掛けている絵を描けば、もはやこの世の情景ではない。さながら天国のような世界だからだ。そのように読めば、この煎餅を割るかそけき音もにわかに淋しく聞こえ、句全体がしいんと胸に迫ってくる。『白面』(1969)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます