April 0242002

 開く扉を春光射し入る幕間かな

                           村田 脩

語はむろん「春光(しゅんこう)」だが、似たような季語「春の日」が暖かい日差しを言うのに対して、やわらかく色めいた春の光線を言う。体感よりも心理的な感覚に重点が置かれている。芝居見物の句。前書きを読むと、明治座で山本富士子、林与一らの『明治おんな橋』を見たとある。出演者と題目から推して、華麗で幻想的な舞台が想像される。一幕目が終わり場内に灯がともされると、観客がざわざわと立ち上がり、扉(と)を開けて外に出ていく。舞台に吸い寄せられていた心に、徐々に現実が戻ってくる時間だ。作者も立って表に出るため、扉を押した途端に、まぶしい春の光が射し込んできた。戸外であればやわらかい光も、目を射るように感じられた。「春光射し入る」と字余りの硬い感じが、よくその瞬間を表現している。ここで一挙に現実が戻ってきたわけだが、これも芝居見物の醍醐味だろう。しかも、外は良い天気。舞台の楽しさもさることながら、芝居がはねた後も機嫌よく帰ることができると思うと、楽しさ倍増だ。そんな好日感が、はっしと伝わってくる。そしてまた席に戻り幕が開くと、「春の闇深うたちまち世も暗転」となって、再び舞台に集中するのである……。「俳句研究」(2001年5月号)所載。(清水哲男)




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