March 2132002

 鍵ひとつ握らせてゐる花の下

                           今井 聖

見でのスケッチ。「握らせてゐる」というのだから、大人同士の受け渡しではなく、親が子供に鍵をしっかりと握らせているのだろう。まだ、そんなに大きくない子だ。急に体調が悪くなったのなら、親もいっしょに引き揚げるところだが、おそらく子供は退屈しきってしまい、先に帰ると言い出したにちがいない。「握らせてゐる」という所作のなかには、無くさないようにと念を押す気持ち以外にも、このまま一人で帰してよいものかどうかなど、親の逡巡が含まれている。しっかりと握らせることで、その逡巡を立ち切ろうとしている。親の困ったような顔と「だいじょぶだよ」とうなずいている子。しかし、子供もちょっと不安気だ。そんな様子が、目に浮かぶ。家族での行楽には、わがままが顔を出しやすいので、ときどきこういうことが起きる。ましてや歩くばかりの花見ともなれば、子供には弁当を食べることくらいしか面白いこともないのだから、すぐにイヤになってしまうのだろう。しかも、まわりは大人だらけである。そういえば、シクシク泣いている子をよく見かけるのも花見の道だ。さりげないスケッチながら、掲句はそのあたりの人情の機微を的確に捉えている。東京あたりでは、今日花見に繰り出す人々が多そうだが、なかには、きっとこういう親子もいるのでしょうね。『谷間の家具』(2000)所収。(清水哲男)




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