March 1632002

 子らの皆東京へ出し種おろし

                           太田土男

を読んで、一瞬むねの内に苦い思いの走る世代は、確実に存在するだろう。1980年(昭和55年)の作。季語は「種おろし」で春。「出し」は「でし」と読ませている。種おろしは苗代に種を蒔くことであり、「種蒔(たねまき)」と同義だ。野菜や花の種を蒔くことは「物種(ものだね)蒔く」と言って、古くから季語的には区別されてきた。それだけ、米作りは大切だったのだ。解釈の必要はあるまい。働き手の「子ら」はみな東京へ出ていってしまい、この春は残った家族だけの寂しい種蒔となった。蒔きながら、東京で「皆」元気にしているかなと気づかう親ならではの思いが滲み出ている。他方、東京へ出た子らも、いまごろは種蒔で大変だなと親の苦労を思いやっている。どこにもそんなことは書いてないけれど、そういう句だ。東京や大阪などの大都会に若者が流出し、父親もまた出稼ぎに行った時代。田舎を出る人のおおかたは、戦前のような立身出世を夢見てではなかった。農業ではお先真っ暗と察知しての若者たちの決意からであり、現金収入を得たいがための父親たちの里離れだった。「三ちゃん農業」と言われ、農作業は「かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃん」の手にゆだねられ……。そもそもの発端は、1961年の「農業基本法」公布にある。端的に言えば、法の真意は小農の切り捨てだった。いまでは育苗箱への種蒔がほとんどだから、まず句のような情景は見られない。しかし、掲句にずきんと反応する人は、依然として多く都会で暮らしている。もとより、そのなかには政治家もいる。『太田土男集』(2001)所収。(清水哲男)




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