March 1432002

 子猫ねむしつかみ上げられても眠る

                           日野草城

語は「子猫(猫の子)」で春。猫は春に子を生むことが、最も多いからだとされる。猫好きでないと、こういう句は作らないだろう。この愛くるしさに、冷淡にも「それがどうしたの」と言われても困ってしまう。可愛いから、可愛いのである。作者の猫好きはかなりのものだったようで、病床にすら常に子猫が何匹かいたという目撃者(大野林火)がいるほどだ。離乳直後くらいの子猫は、たしかに「つかみ上げられても」、眠ったまんまのときがある。もっとも、猫は元来が夜行性の動物だから、限りなく自然体にある子猫としては、どうされようとも昼間は眠っているのが本来の生態なのだろう。その子猫が、もう少し大きくなってくると、上野泰が詠んだように「貰はれる話を仔猫聞いてをり」と、可哀想なことになる場面も出てくる。しかし、この句もまた、猫好きだからこその発想だ。哀れにも愛くるしい姿とは、写る人にしか写らない。ところで、掲句は子猫を「つかみ上げる」としている。手で上から一瞬つかみ、後はすくい上げて掌に乗せるという感じなのだろう。相手が子猫だから、首筋をつまみ上げるのとは違うと思うが、一般的に(と言っても、最近の飼育方法には無知だけれど)何故、猫は首筋をつまみ上げるのか。猫には、あれでよいのだろうか。子供の頃に一度だけしか飼ったことのない素人には、よくわからぬままに来てしまった。『日野草城句集』(2001)所収。(清水哲男)




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