March 1132002

 春あかつき醒めても動悸をさまらず

                           真鍋呉夫

で、目が醒(さ)めた。よほど夢の中での出来事が、刺激的だったのだろう。醒めても、なかなか「動悸(どうき)」が「をさまら」ない。春夏秋冬、四季を問わずにこういうことは起きるが、寒からず暑からずの春暁のときであるだけに、夢と現(うつつ)の境界が、いまひとつ判然としないのである。平たく言えば、寝ぼけ状態が他の季節よりも長いので、「ああ、夢だったのか」と自己納得するのに、多少時間がかかるというわけだ。「春の夢」なる季語があるくらいで、この季節の心地よい睡眠はまた夢の温床でもあるらしい。富安風生に「春の夢心驚けば覚めやすし」があるように、動悸の激しくなる夢を見やすいのかもしれない。夢の心理学は知らねども、体験的には納得できるような気がする。つい昨夜も見たばかりで、気まぐれにそのあたりの樹に登り、ふと下を見て気を失いそうになった。いつの間にか、高層ビルの屋上ほどの高いところまで、登ってしまっていたのだ。高所恐怖症としては必死に幹にかじりついたものの、しかし、恐くて一歩も下りられない。「もう駄目だ」と思っているうちに、目が覚めた。覚めても、句のようにしばらくはドキドキしていた。……というような子供じみた夢を作者が見たと思ったのでは、面白くない。ここは、大人の夢から来た動悸だと読まねば。まことに危険で艶っぽい、真に迫った恋の夢から醒めたのだと。『定本雪女』(1998)所収。(清水哲男)




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