March 0532002

 山刀伐の山田ひそかに蝌蚪育つ

                           鈴木精一郎

語は「蝌蚪(かと)」で春。おたまじゃくし。古体篆字(てんじ)の称。中国の上古に、竹簡に漆(うるし)汁をつけて文字を書いたもの。竹は硬く漆は粘っているので、文字の線が頭大きく尾小さく、おたまじゃくしの形に似ていたところからの名[広辞苑第五版]。「山刀伐(なたぎり)」という言葉は、この句で初めて知ったのだけれど、たぶん山刀で周辺の雑木や薮を伐採することだろうと読んでおく。小さな山あいの田圃、すなわち「山田」の周辺には、春先、雑木や雑草の類が田圃の端に覆いかぶさるように生えかかっているので、これからの農作業には何かと邪魔になる。そこで作者は、それらをなぎ払うようにして伐採しているのだ。森閑とした山田の周辺に響いているのは、作者が山刀を振るっている音のみである。一呼吸入れるために手を休めれば、あたりは静寂そのものとなる。ふと見ると、田圃のそこここの水たまりには、生まれたばかりのおたまじゃくしの群れが、ちらちらと春光のなかに影を引いている。まったき静けさのなかで、音もなく育っている生き物の影を認めて作者は微笑し、再び山刀を振るう。早春の山中での一景。しいんとした田舎の自然の味わいが、よく伝わってくる。少年時代を、私はいま思い出している。『青』(2000)所収。(清水哲男)

★「山刀伐」について数名の読者の方より、芭蕉が奥の細道で難渋した「山刀伐峠」のことではないかとのご指摘がありました。早速手元の百科事典で調べてみましたら、このような記述が……。「山形県北東部、尾花沢市と最上郡最上町の境にある峠。標高510メートル。藩政期には村山地方と盛岡藩領、仙台藩領を結ぶ重要な街道で、1689年(元禄2)芭蕉はこの峠を越えて尾花沢へ入った。現在、「奥の細道山刀伐峠」の石碑があり、峠付近は奥の細道探勝路となっている」。掲句の作者が山形の人であることを考え合わせると、この峠のことを指しているのに、ほぼ間違いはないでしょう。つまり、私が大間違いをしたわけで、まことに申し訳ないことでした。『おくの細道』は何度も読んでいるのに、なぜ気がつかなかったのかと、気になってそちらを当たってみましたら「山刀伐峠」という地名は出ていませんでした。ただ、その峠の剣呑な様子の描写があるだけ。尾花沢へのルートを知る人には地名がわかるのでしょうが、原文だけからはわからないはずです。というようなことで、上記の文章は「誤読記念」としてそのままにしておきたいと思います。ご指摘いただいたみなさま、ありがとうございました。




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