February 2022002

 料峭のこぼれ松葉を焚きくれし

                           西村和子

語は「料峭(りょうしょう)」で春。さて、お勉強。「料」には撫でるないしは触れるの意味があり、「峭」は山がとがっている様子から厳しさの意味があるから、厳しいものが身体に触れること。すなわち、春の風がまだ肌を刺すように冷たく感じられるさまを言った。「春寒(はるさむ)」とほぼ同義であるが、そのうちでもいちばん寒い状態を指すのだと思われる。寺の境内あたりだろうか。作者は何かの用事で出かけ、表で誰かを待つ必要があった。早春の風が冷たい日である。寒そうに立っている作者の姿を見かねたのか、周辺を掃除している人が、掃き寄せた「こぼれ松葉」で焚火をしてくれた……。その種の情景が思い浮かぶ。松葉は、おそらくとがった「峭」にかけてあるのではないか。そんな松葉の焦げる独特な匂いが立ちのぼるなかで、作者はその人に感謝している。松葉を燃やしてもあまり暖まるわけではないけれど、その人の温情に心温まっているのだ。ところで、句の「こぼれ松葉」に誘われて、好きな佐藤春夫の詩「海べの戀」を思い出し、久しぶりに読むことになった。最終連は、次のようである。「入り日のなかに立つけぶり/ありやなしやとただほのか、/海べのこひのはかなさは/こぼれ松葉の火なりけむ。」。松葉を焚く煙や火は「ありやなしや」と、まことにはかないことが、この詩からもよくわかる。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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