February 1822002

 汽笛一声ヒヨコが咲きぬヒヨコが

                           鳴戸奈菜

のため「猫の子」(春)や「鴉の子」(夏)などのように、「ヒヨコ」も季語になっているのかなと調べてみたが、季語ではなかった。鶏には、とくに繁殖期などはないのだろうか。子供の頃、三十羽ほどの鶏の世話をしていたくせに、まったく覚えていない。でも、あの小さくてふわふわとした愛らしい姿は、なんとなく春を想わせますね。この句、私は実景として読んだ。場所はたとえば、SLが常時走っていたころの山口線は無人駅近辺の農家の庭先だ。今でもあると思うが、駅と庭とが地続きになっている。庭では、たくさんのヒヨコたちが放し飼いにされている。のどかな春昼。そこに突然、発車合図の「汽笛一声」だ。驚いたのなんの。ヒヨコたちは、四方八方にめちゃくちゃに走り回ることになる。黄色い集団が、一斉にぱあっと四散するのである。その様子は、まさに「ヒヨコが咲きぬ」なのだ。下五(字足らずだが、空白の一字が埋め込まれている)で、もう一度「ヒヨコが」と言ったのは、ヒヨコが「咲く」と直感的に見えた自分の感覚に対する再確認である。本当に「咲く」んだよ、ヒヨコは……、と。センス抜群。ヒヨコには気の毒ながら、楽しくも素晴らしい句です。「俳句研究」(2002年3月号)所載。(清水哲男)




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