February 1022002

 春の闇幼きおそれふと復る

                           中村草田男

語は「春の闇」。夜の闇ではあるが、感覚的にはうるんだような、しろじろとした光りのあるような闇夜だ。どこか艶なる感じもあって、気分が安らぐ。掲句は、そんな闇のなかで眠りにつこうとしたときの、たまさかの心の揺らぎを詠んだのだろう。「幼きおそれ」の中身は、もとより知る由もない。とにかく、春の闇に身を横たえている安らぎのなかに、「ふと」幼き日のおそれが復(かえ)ってきたのである。仮に他人に話したとしても、一笑に付されてしまいそうな他愛ないおそれ……。だが、当人にとっては、なかなか眠れそうにないほどのおそれなのだ。どなたにも、多少とも覚えがあるのではなかろうか。でも、何故こういうことが起きるのだろう。心理学的解説は知らねども、人が安らぐ心持ちというものが、多くかつての幼児期の心に退行し重なり合うからだろうと、私には体験的に思われる。だから、白昼多忙時には片鱗も思い出すことのない思いが、安らぎを引き金にして、ごく自然によみがえってくることがある。幼き日のおそれが、当時と等価で戻ってきてしまうのだ。むろん私にも「幼きおそれ」はちゃんとあるけれど、やはりここに書けるようなことではない。両親や周囲の大人たちでも、絶対に助けてくれっこないような恐ろしいことが、身に迫ってくる。この怖さは、幼い心におぼろに芽生えはじめた自立心の所産だったのだろうなと、なるべくそう思うようにしてはいる。が、怖いものは怖い。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)




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