February 0522002

 春泥に歩みあぐねし面あげぬ

                           星野立子

語は「春泥(しゅんでい)」。春のぬかるみ。春先は雨量が増え気温も低いので、土の乾きが遅い。加えて雪解けもあるから、昔の早春の道はぬかるみだらけだった。掲句には、草履に足袋の和服姿の女性を想像する。ぬかるみを避けながら、なんとかここまで歩いてはきたものの、ついに一歩も進めなくなってしまった。右も左も、前方もぬかるみだ。さあ、困った、どうしたものか。と、困惑して、いままで地面に集中していた目をあげ、行く先の様子を見渡している。見渡してどうなるものでもないけれど、誰にも覚えがあると思うが、半ば本能的に「面(おも)あげぬ」ということになるのである。当人にとっての立ち往生は切実な問題だが、すぐ近くの安全地帯にいる人には(この句の読者を含めて)どこか滑稽に見える光景でもある。作者はそのことをきちんと承知して、作句している。そこが、面白いところだ。我が家への近道に、通称「じゃり道」という短い未舗装の道がある。雨が降ると、必ずぬかるむ。回り道をすればよいものを、つい横着をして通ろうとする。すると、年に何度かは、掲句のごとき状態に陥ってしまう。上野泰に「春泥を来て大いなる靴となり」がある。『實生』(1957)所収。(清水哲男)




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