January 2312002

 王冠のごとくに首都の冬灯

                           阿波野青畝

後も間もなくの句。季語は「冬灯(ふゆともし)」だが、単に冬の燈火を指すのではなく、俳句では厳しい寒さのなかのそれを言ってきた。空気が澄みきっているので、くっきりと目に鮮やかだ。掲句の灯は、復興いちぢるしい東京の繁華街のネオンのことを言っている。高いところで、さながら豪奢な「王冠」のようにキラキラと輝いている。「東京がゴッツイ王冠をかぶっとる。さすがやなア。よう見てみなはれ、ゴウセイなもんやないかい」と、関西人である作者は感嘆している。……と受け取った読者は、まことに善良な性格の持ち主だ(笑)。なんのなんの、生粋の関西人がそう簡単にネオンごときで「首都」を褒め称えるわけがない。たしかに最初は目を見張ったかもしれないが、たちまち「なんや、よう見たら、あれもこれもヤスモンの瓶の蓋みたいなもんやないか、アホくさ。おお、サブゥ」となったこと必定である。つまりこの句には、そんな毀誉褒貶をとりまぜた面白さがある。どちらか一方の解釈だけでは、あまりにも単純でつまらない。形が似ているところから、ブリキ製のビール瓶などの蓋のことを、当時は俗に「王冠」と呼んでいた。この言葉が聞かれなくなって久しいが、そもそもの本家(!)の王冠の権威が、すっかり薄れてしまったことによるのだろう。『紅葉の賀』(1955)所収。(清水哲男)




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