January 1412002

 成人の日の大鯛は虹の如し

                           水原秋桜子

語は「成人の日」で、新年に分類する。大人になったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます日。戦後にできた祝日だ。一月十五日と定めた(2000年から第二月曜日になった)理由は、おそらくは次の日が昔の奉公人の休日だった「薮入り」と関係しているのだろう。「薮入り」で父母のもとに帰ってくる若者たちは、いちだんと成長して大人びてくる。物の本によれば、この日を鹿児島地方では「親見参(おやげんぞ)」と呼び、離れて暮らす子供らが親を見舞う日になっていたそうだ。「成人の日」が法制化された敗戦直後の工場や商家などには、こうした風習がきちんと残っていただろうから、その前日を祝日にしたのは「大人になった自覚」云々の趣旨よりも、むしろハードに働く若者たちに連休を与えてやろうという「民主主義国家」としての「親心」が働いていたのではあるまいか。いわば「隠し連休」というわけで、粋なはからいだったのだと思いたい。掲句に解説の必要はなかろうが、子供の成人を「大鯛」でことほぐことが、決して大袈裟でも何でもない時代があったことが知れ、興味深く読める。それほどに、当人も親たちも「成人」のめでたさを実感できる社会の仕組みのなかで生きていたのだ。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)などに所載。(清水哲男)




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