January 1212002

 老いてゆく体操にして息白し

                           五味 靖

語は「息白し」で冬。句意は明瞭だ。年を取ってくると、簡単な動作をするにも息が切れやすくなる。ましてや連続動作の伴う「体操」だから、どうしても口で呼吸をすることになる。暖かい季節にはさして気にもとめなかったが、こうやって冬の戸外で体操をしていると、吐く息の白さと量の多さに、あらためて「老い」を実感させられることになった。一通りの解釈としてはこれでよいと思うけれど、しかしこの句、どことなく可笑しい。その可笑しみは、「老いてゆく」が「体操」にかかって読めることから出てくるのだろう。常識的に体操と言えば、老化防止や若さの維持のための運動と思われているのに、「老いてゆく体操」とはこれ如何に。極端に言えば、体操をすればするほど老いてゆく。そんな感じのする言葉使いだ。このあたり、作者が意識したのかどうかはわからないが、こう読むといささかの自嘲を込めた句にもなっていて面白い。ところで、この体操はラジオ体操だろうか。ラジオ体操は、そもそもアメリカの生命保険会社が考案したもので、運動不足の契約者にバタバタ倒れられては困るという発想が根底にあった。そんなことを思い合わせると、掲句は自嘲を越えた社会的な皮肉も利いてきて、ますます可笑しく読めてくる。『武蔵』(2001)所収。(清水哲男)




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