January 0512002

 やり羽子や油のやうな京言葉

                           高浜虚子

語は「やり羽子(遣羽子・やりばね)」で新年。「追羽子(おいばね)」「掲羽子(あげばね)」とも言い、羽子つきのこと。男の子の凧揚げは公園や河川敷などでまだ健在だが、女の子が羽子をつく光景はなかなか見られなくなった。娘たちが小さかったころに、ぺなぺなの羽子板を買ってきて一緒についたことも、もはや遠い思い出だ。掲句は昔から気にはなっているのだが、いまひとつよく理解できないでいる。むろん「油のやうな」の比喩にひっかかっての話だ。京都に六年間暮らしたが、彼の地の言葉が「油のやうな」とは、どのあたりの言い回しを指しているのだろうか。「油のやうな京言葉」と言うのだから、すべすべしているけれど粘っこく聞こえているのだと思う。そんなふうに思い当たる言葉が私にあるとすれば、たとえば女の子たちがよく使う「行きよしィ」「止めときよしィ」などと、語尾をわずかに微妙に引っ張る言い方だ。語尾は頻発されるので、地の者でない人の耳には「油のやうに」粘りつくのだろう。同時に、羽子をつく歯切れのよい音が混ざるのだからなおさらだ。と、そういうことなのかもしれない。いずれにしても、聴覚で正月の光景をとらえているところは面白い。作者は戸外にいるのではなく、宿の部屋でくつろいでいるのかもしれない。『虚子五句集』(1996・岩波文庫)所収。(清水哲男)




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