January 0412002

 初仕事コンクリートを叩き割り

                           辻田克巳

語は「初仕事(仕事始)」で、まだ松の内だから新年の部に分類する。建設のための破壊ではあるが、まずは「コンクリートを叩き割る」のが仕事始めとは、一読大いに気持ちがすっきりした。たぶん「叩き割」っているのは作者ではなく、たまたま見かけた光景か、あるいはまったくの想像によるものか。いずれにしても、作者には何か鬱積した気持ちがあって、そんなこんなを力いっぱい「叩き割」りたい思いを、掲句に託したのだと思う。考えてみれば、誰にはばかることなく、何かを白昼堂々と物理的に「叩き割」れるのは、一部の職業の人にかぎられる。大木を伐り倒すような仕事も、同様の職業ジャンルに入るだろう。「叩き割る」や「伐り倒す」どころか、たとえば人前で大声を発することすら、ほとんどの人にはできない相談なのだ。したがって「叩き割る」当人の思いがどうであれ、この句に爽快感を覚えるのは、そうした私たちの日頃の鬱屈感に根ざしている。そういえば、私が最後に何かを叩き割ったのは、いつごろのことだったか。中学一年の教室での喧嘩で、友人の大切にしていたグラブにつける油の瓶を叩き割ったのが、おそらくは最後だろう。以来、コップ一つ叩き割らない日々が、もう半世紀近くもつづいている……。『新日本大歳時記・新年』(2000・講談社)所載。(清水哲男)




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