January 0112002

 花火もて割印とせむ去年今年

                           和湖長六

語は「去年今年(こぞことし)」で新年。午前零時を過ぎれば大晦日も去年であり、いまは今年だ。掲句は、おそらくカウントダウン・ショーで打ち上げられる「花火」を見ての即吟だろう。華やかに開きすぐに消えていく「花火」を「割印(わりいん)」に見立てたところが機知に富んでいるし、味わい深い。「割印」といえば、互いに連続していることを証するために、印鑑を二枚の書面にまたがるようにして捺すことである。何ページかにまたがる重要書類などに捺す。それを掲句では、去年と今年の時の繋ぎ目に「花火」でもって捺印しようというのだから、まことに気宇壮大である。と同時に、捺しても捺しても、捺すはしから消えていくはかなさが、時の移ろいのそれに、よく照応している。高浜虚子の有名な句に「去年今年貫く棒の如きもの」がある。このときに虚子は「棒の如きもの」と漠然とはしていても、時を「貫く」力強い自負の心を抱いていた。ひるがえって掲句の作者には、そうした確固たる自恃の心は持ちようもないというわけだ。精いっぱい気宇を壮大にしてはみるものの、気持ちにはどこかはかなさがつきまとう。多くの現代人に共通する感覚ではあるまいか。『林棲記』(2001)所収。(清水哲男)




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