December 30122001

 左右より話一度に日短

                           五十嵐播水

語は「日短(短日)」で冬。一日が二十四時間であることに変わりはないけれど、日照時間が短いと、追い立てられるような気分になる。とくに多忙な歳末ともなれば、いっそう強く感じられる。掲句は歳末とは無関係ながら、この時期に読むと、より句意が実感として鮮明になるようだ。忙しいから、話かけるのにも、とかく一方的になる。折り入っての話なら別だが、ちょっとした用事を頼んだりする際には、相手の状態には無頓着に話しかけがちだ。うっかりすると、電話中の人に話しかけたりしてしまう。したがって「左右より話(が)一度に」衝突し、ちょっと待ってくれよと、それこそ左右に手を広げることになる。よくあることではあるが、この状態を「日短」に結びつけた腕前はさすがだ。言われてみれば、なるほどである。しかも「日短し」とは詠まずに、あえて「日短(ひみじか)」と四音に短く止めたところが、「短日」の雰囲気とよく通いあっている。ただ、作者はたしか関西の人だから、あるいは「ひぃみじか」と関西弁で五音に読ませるつもりだったのかもしれない。そうだとしても、字面的には収まりはよろしくない。中途半端だ。やはり作者のねらいは、発音はともかくとして、この収まりの悪さを百も承知でねらったのだと思われる。『新歳時記・冬』(1989)所載。(清水哲男)




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