December 20122001

 魚眠るふる雪のかげ背にかさね

                           金尾梅の門

しい句だ。実景を詠んだと思われるが、となれば「魚(うお)」は、人が雪中の地上からでも認められる、たとえば池の大きな鯉あたりだろうか。鯉でなくともかまわないけれど、水中でじいっと動かない魚の「背」に、雪がこんこんと降りかかっている。雪は水面にまでは達するが、決して水中の魚にまで、そのまま届くことはない。魚は、常に「雪のかげ」を「背にかさね」て眠っているだけなのである。この情景は、いま直接に肌で雪を感じている作者にしてみれば、眼前の具象を越えて抽象的にまで高められたような美しいそれに写った。もとより人と魚とでは、寒暖に対しての生理は同じではない。でも、そんな理屈を掲句に押しつけるのは野暮というものだろう。作者は若き日に、父親の職業を継いでの売薬行商人であった。いわゆる「富山の薬売り」だった。「背」に風呂敷で包んだ大きな荷を文字通りに「背」負って、諸国をめぐり歩く商売である。だからこそ、こういう「背」の観察ができたのではあるまいか。たいていの人は「背」を意識しないで生きていく。「親の背を見て子は育つ」などという箴言は、人が「背」に無意識であるからこそ生まれてきた言葉である。作者名は「かなお・うめのかど」と読み、なんだか大昔の月並俳人のようであるが、1980年に八十歳で没した、れっきとした現代俳人である。『鴉』所収。(清水哲男)




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