December 17122001

 足袋の持つ演劇的な要素かな

                           京極杞陽

語は「足袋(たび)」で冬。女性用は白足袋、男性用は紺色ないしは黒色で、礼装用は男女ともに白足袋である。作者がどんな場面でこう感じたのかは知らねども、言われてみれば、なるほどと得心がいった。たしかに足袋は靴下などよりも、よほど芝居がかって見える。1968年の作だから、もはや足袋をはく人も少なくなっていたころなので、なおさらだ。もっとも作者は、世が世であれば豊岡藩(兵庫県)のお殿様となったはずの人ゆえ、足袋には一般人よりも縁は深かったにはちがいないが……。したがって「演劇的な要素」があることにも、よほど敏感だったのだろう。戦後の吉田茂首相の白足袋姿は有名だったが、彼もまたそこらへんの事情を承知しての演技だったのだろうか。それにしても、「演劇的な要素」なる観念語を無造作に句に放り込んだ(と見えるように、故意に仕掛けた)手法は面白い。作者が虚子の弟子であることを知れば、ますます面白い。句の発想を得た具体的なシーンを写生して上手に詠めば、句意としてはほぼ同意の作品ができるはずだ。が、作者はあえてそうしなかった。たぶん「ハイクハイクした句」に、飽き飽きしていたのだと思う。すなわち裏をかえせば、この句こそが、実は足袋なんかよりもよほど「演劇的な要素」に満ちているの「かな」(笑)。でも、たまには精神衛生上、こういう句もよい。気に入っちゃった。『露地の月』(1977)所収。(清水哲男)




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