December 11122001

 あばずれと人がつぶやく桜鍋

                           岡田史乃

語は「桜鍋」で冬。馬肉を味噌仕立て、またはすき焼き風にする鍋料理のこと。馬肉は牛肉などとは違い紅みが濃いので、「桜」という異称が生まれた。さて、また「あばずれ」とは懐かしいような言葉だ。辞書的に言うと、悪く人ずれがして厚かましいこと。また、そのような者、および、そのさま。古くは男女ともに言ったが、現在では女性に限って言う。いわゆる「すれっからし」である。鍋の席で、いささかはしゃいで声高に誰かれとしゃべっていたら、少し離れた席で「人」が「あばずれ」と低くつぶやくのが聞こえてしまった。つぶやきだから、誰に向けられたものでもないかもしれない。が、つぶやいた「人」と作者との関係において、直感的に自分に向けられた気がしたのだ。途端に、すっと楽しさが醒めてしまった。「人」とぼかしているのは、その「人」の名前を隠そうというのではなく、もっと広がりのある「人々」を暗示させたかったのだと思う。「人」は、ここで「人々」であり「みんな」なのであり、もっと言えば「世間」なのである。ああ、この席で談笑している「みんな」は、腹の中では私のことをそう思っているのか……。単なる妄想に過ぎないと、そんな気持ちを打ち消そうとはするのだが、打ち消せない自分がいる。どうにもならない。境遇的に、あるいは身体的に弱っているとき、誰にでもこういうことは起きるだろう。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)




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