November 30112001

 しかるべく煮えて独りの牡丹鍋

                           飯島晴子

語は「牡丹鍋(ぼたんなべ)」で冬。「猪鍋(ししなべ)」とも言い、猪の肉と野菜を煮込む味噌仕立ての鍋料理だ。これを「牡丹鍋」と言うのは、「牡丹に唐獅子」の「獅子」の発音に引っかけてある。まるで判じ物だ。さて、私にも覚えがあるが、独りで食べる鍋料理ほど侘(わび)しいものは、めったにあるものではない。何人かで、にぎやかに食べてこその鍋物である。そもそも鍋料理の発想が、そのことを前提としている。すなわち、鍋を囲む人たちも御馳走のうちというわけだ。それを、これから作者は独りで食べようとしている。鍋を据えたとたんから、もう侘しさを感じはじめていただろう。そこで句の勝負どころは、誰もが感じるこうした独りの侘しさを、いかに独自の発想でまとめあげるかということになる。「独りの牡丹鍋」と言うだけで、侘しい気分は十二分に露出してしまう。追い討ちをかけるように、それこそ「侘しい」などという言葉を折り込んだら、煮えすぎた鍋のように食えたものではあるまい。で、苦吟一番、「しかるべく」とひねりだした。周囲に誰もいなくても、煮えてくる状態は、みんなで囲んでいるときと同じであると……。いつもと同じ鍋の活気を詠むことで、対照的に作者の侘しい気持ちが句に極まった。『寒晴』(1990)所収。(清水哲男)




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