November 23112001

 裂き燃やす絵本花咲爺冬

                           三橋敏雄

火だろう。落葉焚きだけが焚火ではない。昔は、不要になったガラクタ類は裏庭などで燃やして処分した。ゴミの収集車が回ってきたのは、都会のごく一部でのことだ。作者はいま、子供が大きくなって振り向きもしなくなった本などを燃やしている。本をそのまま火の中に投げ込むと、なかなかうまく燃えてくれない。いつまでも、原形のままにくすぶりつづける。だから「裂き燃やす」必要があるのだ。が、どんな本であれ裂くのは辛い。よほど心を鬼にしないと、裂いたり破ったりすることはできない。ましてや「絵本」には、子供が幼かったころの思い出が染みついている。記念のアルバムを裂いて燃やすような心持ちだ。裂いた途端に、痛いものが胸を走り抜けただろう。「花咲爺」の絵本の表紙は、爺さんが桜の木の上で満面に笑みをたたえて灰をまいている絵に決まっている。そんな春爛漫の絵を思い切って裂き、火中にくべる。笑顔の爺さんは見るも無残に焼けていき、そして灰になっていく。そして作者は、この絵本の灰が、決して爺さんの灰のように奇跡を起こすことはないことを知っている。最後に唐突にぽつんと置かれた「冬」が、作者の胸のうちの荒涼たる思いを集約して、よく読者に伝えている。『まぼろしの鱶』(1966)所収。(清水哲男)




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