November 18112001

 褞袍着てなんや子分のゐる心地

                           大住日呂姿

語は「褞袍(どてら)」で冬。関西では「丹前(たんぜん)」と呼ぶのが普通だから、うるさいことを言えば「なんや」という関西弁にはそぐわないが、ま、いいや。この冬、はじめて褞袍を着たのか、それとも旅館で褞袍に身を包んだのか。いずれにしても面白いもので、慣れない衣裳を着ると、気分は大いに変わる。褞袍に慣れきった人だと「昼の淋しさどてら着て顔を剃らせる」(荻原井泉水)のように淡々としたものだが、作者は急に大きな褞袍を着たものだから、気分までもが昂揚して大きくなった。こうやって胡座をかいていると、ヤクザ映画のように、いまにも「子分」が頭を低くして部屋に入ってきそうだと言うのだろう。滑稽、滑稽。しかし、本人は一瞬大真面目。褞袍ではないが、私にも、いろいろと思い当たることがある。句の関連で言えば、若い頃にはじめて、たわむれに友人のを借りてサングラスをかけたときのことだ。どれどれとどこぞの店のウィンドウに写してみたら、そこに写ったのは、まぎれもい街のあんちゃん「チンピラ」風なのであった。で、それが気に入って新しいのを買ったのだから、よほどの「子分」好き体質だ。なんでなんやろか。そんなことも思い出して、余計に可笑しかった。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)




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