November 16112001

 外套を脱げば一家のお母さん

                           八木忠栄

コートの季節。「外套(がいとう)」はもはや古語と言ってよいだろうが、コートとはちょっとニュアンスが違うと思う。コートは薄手であり、外套は厚手でモコモコしているイメージだ。いずれにしても外出着には変わりなく、それを来ているときは他所行きの顔である。妻が、外出から帰ってきた。もう夕食の時間なのだろう。部屋に入ってきたときにはまだ外套を着たままなので、やはり少し他所行きの顔を残している。子供らが「おなか空いたよお」と声をあげると、「はいはい、ちょっと待っててね」と彼女は外套を脱ぐ。途端に他所行きの顔は消え、ふだんの「お母さん」の顔に戻った。早速、台所でなにやらゴトゴトやっている。すっかり「一家のお母さん」に変身している。べつに何がどうということでもないけれど、一家がホッとする時間が戻ってきたわけだ。そこで作者は、いつもの調子でぶっきらぼうに注文をつけたりする。「心憂し人参辛く煮ておくれ」などと……。まっこと、「お母さん」は太陽なんだね。そこへいくと「お父さん」なんて生き物は、単に「お父さん」にすぎないのであって、外套を脱ごうが脱ぐまいが、一家をホッとさせるようなパワーはない。やれやれ、である。『雪やまず』(2001)所収。(清水哲男)




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