November 15112001

 投網打つごとくに風の川芒

                           友岡子郷

語は「芒(すすき)」で秋。別名は「萱(かや)」である。作者は、川原で「芒」が風になびく様子を見ている。そしてふっと、まるで誰かが「投網(とあみ)」を打っている光景のようだと思った。それだけの句であるが、この「それだけ」にとどめているところに、私は逆に魅かれる。昔の流行歌の「♪おれは河原の枯れススキ……」ではないけれど、とかくこのような風景を句にしようとすると、人は感情移入に走りがちになる。「さみしい」とか「わびしい」とかの感情を詠み込まないと、句がおさまらぬ気がするものだ。それを、からりと眼前の風景のありようだけにとどめた。言われてみれば、打たれる「投網」の細かい網の目と、群生する「芒」が揺れて生ずる斜のかかったような様子とは、よく符合する。この光景を少しフォーカスを甘くしてムービーに撮り、掲句を白い文字で打ち抜けば、ぴったりと響きあうにちがいない。俳句を読みはじめてから思っていることだが、風景を風景のままに詠みきることは非常に難しい。つまり写生の難しさになるわけだが、その意味で、掲句は成功した部類の作品ではあるまいか。むろん「投網打つごとくに」の比喩が効いているかどうかにおいて、意見はわかれるところだろう。一見地味で平凡にすら感じられる比喩だが、なかなかどうして力のこもった着想だと思う。『椰子』('99アンソロジー)所載。(清水哲男)




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