November 09112001

 石炭にシャベル突つ立つ少女の死

                           西東三鬼

語は「石炭」で冬。幼い死である。何故、どのようなことから「少女」が死んだのかはわからない。わからないが、作者の口吻には、幼い命を奪い去ったものへのいきどおりが感じられる。こんな理不尽な死が、あってよいものか。これでは、神も仏もないではないか。その暗澹たる怒りの念が、黒々とした「石炭」の山に「突つ立つ」一本の「シャベル」に集約されている。ここで「シャベル」は、作者の力いっぱいの怒りの具象化だ。作者は、寒い夜の通夜の客だろう。となれば、積み上げられた「石炭」は、一晩中燃やしつづけるストーブのために準備されたものだ。明るかった少女との思い出が、漆黒の「石炭」の山と対比されることで、作者の悲しみと怒りが爆発しそうに鮮やかである。単なる追悼句を越えて、掲句は人間の愛の深さを浮き彫りにしている。私が子供だった頃には、まだ「石炭」は家庭でも使われていた。それが中東での大油田の発見により、安い石油に押しまくられて姿を消していくのが、戦後のエネルギー交替の歴史である。1997年(平成9年)3月には、国内最大の炭鉱であった三池炭鉱(福岡)の閉山により、太平洋炭礦(釧路)、松島炭鉱(長崎)の二つの炭鉱を残すのみとなり、そしてこの松島炭坑もさきごろ閉山が決まった。「みんな仲間だ、炭掘る仲間」と、かつての三池炭鉱労働者の力強い歌声が、寂しく思い出される。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)




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