November 08112001

 上下線ともに不通ぞ夜鳴蕎麦

                           後藤一之

、屋台を引いて売り歩く蕎麦(そば)。昔の関西には「饂飩(うどん)」の屋台が多かったという。現代では、東西ともに「ラーメン」が主流だろう。駅に着いてみると、事故があって「上下線ともに不通」である。東京あたりでは、しばしばこんな羽目におちいる。とくに、どういうわけか人身事故の多い中央線では……。いつ動き始めるのかわからない電車を、構内で待つのはわびしいものだ。腹も減ってくる。こういうときに「しめたっ」と、帰宅が遅くなる口実を引っつかんで飲み屋を探したのは、若き日の私だ。が、たいていのサラリーマンは、とりあえず駅の近くで商っている「夜鳴蕎麦」でも食って待とうかと、真面目である。そんな客ばかりが、お互いに肩寄せ合って「蕎麦」を啜る図は、これまたわびしくもあり、情けなくもあり……。どうという句でもないけれど、思い当たる読者は多いだろう。この思い当たるところが、俳句の味だ。いや、味噌だ。掲句に比べると、つとに名句の誉れ高いのが山口青邨の「みちのくの雪降る町の夜鷹蕎麦」である。たしかに見事な絵にはなっているけれど、審美的に過ぎて、少なくとも掲句よりはよほど「蕎麦」の味が希薄である。『新日本大歳時記・冬』(1999)所載。(清水哲男)




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