November 02112001

 菊添ふやまた重箱に鮭の魚

                           服部嵐雪

諧の宗匠は忙しい。連日のように、あちらこちらの句会に顔を出さねばならぬ。したがって食事は外食が多く、嵐雪の時代にはその都度「重箱」を開くことになるわけだ。この日の膳の上には「菊」が添えてあり、おっなかなかに風流なことよと蓋を取ってみて、がっかり。またしてもメインのおかずは「鮭(さけ)」ではないか。このところ、どこへ行っても鮭ばかりが出る。いくら旬だといえども「もう、うんざりだ」と閉口している図だろう。「鮭の魚(うお、あるいは「いお」と読ませるのかも)」と留めたのは、「鮭」と留めると字足らずになるからではなくて、「鮭」にあえて「魚」と念を押すことで、コンチクショウメという意味の、ちょっと語気を荒げたような感じを表現したかったためだと思う。今風に言えば、料亭の飯にうんざりしているどこぞのおエライさんのような贅沢にも思えるが、江戸元禄期あたりの「重箱」は、現代の仕出し弁当に近かったようだ。たとえば正月用の「重箱料理」などの豪華さは、もっと後の時代(18世紀半ばくらい)からのものらしい。となれば、嵐雪のがっかりにも納得がいく。いまの仕出し弁当もたまにはよいが、連日となると辟易するだろう。その昔、人気絶頂のタイガー・マスクが、控室でしょんぼりと仕出し弁当をつついていた姿を思い出した。きっと、うんざりしてたんだな。(清水哲男)




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