October 31102001

 君見よや拾遺の茸の露五本

                           与謝蕪村

村にしては、珍しくはしゃいでいる。「茸」は「たけ」。門人に招かれて、宇治の山に松茸狩りに行ったときの句である。ときに蕪村、六十七歳。このときの様子は、こんなふうだった。「わかきどちはえものを貪り先を争ひ、余ははるかに後れて、こころ静にくまぐまさがしもとめけるに、菅の小笠ばかりなる松たけ五本を得たり。あなめざまし、いかに宇治大納言隆國の卿は、ひらたけのあやしきさまはかいとめ給ひて、など松茸のめでたきことはもらし給ひけるにや」。宇治大納言隆國は『宇治拾遺物語』の作者と伝えられている人物。読んだことがないので私は知らないが、物語には「ひらたけ(平茸)」の不思議な話が書いてあるそうだ。「菅の小笠」ほどの松茸を五本も獲た嬉しさから、大昔の人に「なんで、松茸の素晴らしさを書き漏らしたのか」と文句をつけたはしゃぎぶりがほほ笑ましい。でも、そこは蕪村のことだ、はしゃぎっぱなしには終わらない。句作に当たって、「拾遺」に「採り残された」の意味と物語に「書き漏らされた」との意味をかけ、「露五本」と、採り立ての新鮮さを表す「露」の衣裳をまとわせている。蕪村は、この年天明三年(1783年)の師走に没することになるのだが、そのことを思うと、名句ではないがいつまでも心に残りそうである。(清水哲男)




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