October 27102001

 うそ寒き顔瞶め笑み浮かばしむ

                           岸田稚魚

語は「うそ寒(やや寒)」で秋。「嘘寒」ではなく「うすら寒い」から来た言葉だろう。さて、作者が「瞶(みつ)め」ることで「笑み浮かばし」めた相手は誰だろう。書いてないのでわからないけれど、たぶん妻ではなかろうか。「うそ寒き顔」とは寒そうな顔というよりも、浮かない顔に近いような気がする。そんな表情に気がついた作者が、傍らから故意にじいっと「瞶め」やっているうちに、ようやく視線を感じた相手が、ちらりと微笑を返してきたのだった。ただ、現象的にはそれだけのことでしかない。考えてみれば、人と人との間には、このような交感がいつも行われている。とりたてて当人同士の記憶にとどまることもなく、すぐにお互いに忘れてしまうような交感だ。しかし、このような喜怒哀楽の次元にも達しないような淡い関係が頻繁にあるからこそ、人はいちいち自覚はしないのだが、なんとか生きていけるのだろう。他人の「おかげ」というときに、基本は日頃のこの種の淡い交流にこそ、実は盤石の基盤があると言っても過言ではないと思う。そして私などが深く感じ入るのは、この種の何でもない交感をそのまま記述して、何かを感じさせることのできる俳句という詩型のユニークさだ。自由詩のかなわないところが、確かにこのあたりに存在する。『雁渡し』(1951)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます