October 19102001

 籾殻焼母に呼ばれて日暮なり

                           太田土男

語は「籾(もみ)」で秋。籾摺り(もみすり)をした後に残った籾殻(もみがら)は、戸外で焼く。勢いよくは焼けずに、じわじわと焼けていく。昼も夜も、くすぶりつづける。明るい間は炎も見えないが、暗くなってくると焼けて黒くなった籾殻の奥に、赤く熾火(おきび)のように見える。そこを棒で突いてやると、ぱっと火の粉が舞い上がる。遊びというほどのことでもなく、たしかに子供らは吸い寄せられるように集まり、やがて母親に呼ばれて散っていった。散るときに、はじめて「夕暮なり」の実感が湧く。掲句は、ぴしゃりとそこを押さえている。私の記憶では、火に吸い寄せられたというよりも、そのほわんとした暖かさに足が向いたという感じである。焚き火のように、顔が痛いような熱さはない。田舎でも都会でも、昔は夕暮れが近づくと、句のように母親が遠くから子供を呼ぶ声がしたものだった。「ごはんだよーっ」。私などは「はーい」と答えておいてから、なおその場を去りがたくグズグズしていた。そんなときに、未練がましくも棒でつついたりするのだ。昔の多くの子供にとっては、テレビがあるわけじゃなし、我が家はいちばん退屈な場所だったと思う。ハックルベリー・フィンなんて奴に憧れたのも、むべなるかな。懐かしくはあるが、もうあんな時代に戻りたくはない。『太田土男集』(2001)所収。(清水哲男)




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